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とみばこ

島津忠久:鎌倉から鹿児島へ、その足跡を辿る

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島津忠久:鎌倉から鹿児島へ、その足跡を辿る

鎌倉時代、島津氏初代である**島津忠久(しまずただひさ)**が南九州の地に足を踏み入れたことは、現在の鹿児島の歴史や文化に深く影響を与えました。忠久について調べてみました。

島津忠久の誕生と出自

島津忠久は、源頼朝の庶子または乳母子とされ、北条政子の妬みを避けるため丹後局が鎌倉を離れ、大阪の住吉大社で忠久を出産しました。住吉大社の忠久誕生石や稲荷信仰はこの故事に由来するとされています。後に摂政近衛基通に助けられ、丹後局は広言に嫁ぎ、忠久も惟宗姓を名乗りました。
1185年、忠久は頼朝と対面し「忠久」の名を得ます。鎌倉幕府成立後の1187年、忠久は大隅・日向・薩摩の守護職を与えられ、島津氏の祖となりました。

島津発祥の地:出水か都城か?

島津発祥その地が**出水(いずみ)か都城(みやこのじょう)**であるかについては、現在も議論されているようです。大河ドラマ篤姫では、出水市が島津発祥の地と紹介されていて、都城から訂正の申し出があったようですね。

出水説

島津忠久は鎌倉時代に薩摩、大隅、日向三国の地頭職として出水に拠点を築き、多くの遺産を残しました。

1. 感応禅寺

1187年に忠久が薩摩入国の際、三州鎮定を願い建立した日本最古の禅寺で、臨済宗の祖・栄西が1194年に開山しました。島津家初代から五代までの墓があり、歴史的価値が高い寺院です。

2. 出水諏訪神社

忠久が信州より勧請した神社で、鹿児島県最古の諏訪神社とされ、子授けや安産の神様としても信仰を集めています。

3. 木牟礼城と竹林城

1186年、忠久が家臣・本田貞親に命じて山門院木牟礼に築城し、薩摩三州支配の基礎を築きました。本田貞親は竹林城を居住地とし、島津家の守護勢力の拠点として五代目の貞久まで続きました。
現在、これらの遺跡の一部が残り、島津忠久が築いた町の歴史を伝えています。
https://www.izumi-navi.jp/spots/post-995/

都城説

都城は大隅・日向地方の中心地であり、三国守護の拠点として最適だったとされ、島津家発祥の地として多くの史跡が残されています。

1. 島津荘

平安時代、日本最大級の荘園「島津荘」が存在し、その中心が都城でした。鎌倉時代に源頼朝により島津荘の下司職に任命された惟宗忠久が「島津」を名乗り、島津家の始祖となりました。

2. 祝吉御所跡

鎌倉時代、忠久の館があったとされる場所で、現在は県指定史跡となっています。発掘調査で道路跡や柱穴が見つかり、当時の様子がうかがえる貴重な遺跡です。

3. 島津稲荷神社

都城市内にある島津稲荷神社は、島津家の稲荷信仰の象徴とされ、島津家と都城の縁を深く感じられる神社です。忠久による薩摩・大隅・日向支配の基礎づくりとともに、地域信仰の中心的存在となりました。
都城には、島津忠久の歴史的足跡や島津家の発展を物語る史跡が多く、島津家の発祥地として重要な位置を占めています。

島津忠久が残したもの

島津忠久が南九州に根付いたことで、島津氏はその後約700年にわたり続く勢力となりました。その足跡は、鹿児島県全体に影響を与え、現代においても地域の誇りとなっています。


出水説、都城説、どちらの方が信憑性が高いと思いますか?ぜひコメントでご意見をお聞かせください!

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